こんな掲載記事になりました。他にも屋久島の魅力、色々な島の魅力が載っていますよ。
釣りもおすすめの屋久島の遊びですが、本当のとっておきの屋久島は釣りを楽しみながら海上から眺める屋久島の姿なんです。掲載されるスペースが少ないのでしかたがないですが・・・・・・。おすすめするガイドブックには載っていないとっておきの屋久島はこちら。
刻々と変化する屋久島の色彩。この景色を眺めている時間は、風、光、空気、五感をフルに研ぎ澄まし屋久島と対話するような不思議な感覚でした。
雑誌SWITCHからMELLELL(メレル)の特別編集ブランドブックが発行されることになりました。細川が取材協力をさせていただきました。
MERRELL好きな方は書店で手にとって見てください。
細川とメレルの出会いは13~14年くらい前、すでに屋久島でネイチャーガイドとして毎日のようにお客様と山歩きを楽しんでいた頃です。
細川の足は女性とかわらないくらい小さめで登山ショップで登山靴を買っても自分にあうものに出会えず足への負担が大きな問題でした。
ある雑誌の小さな記事に『MERRELL日本初上陸』と紹介されているのを見て、『この靴が履きたい』と直感的に思ったことを今も忘れません。当時はMERRELLを買いたくても売っているお店がなくて東京新宿で扱っているショップを婚約者だった現在の嫁さんが探してくれて、一緒に買いに行ったことを覚えています。
細川が買ったのは日本限定カラーだったかな・・・・・・。
赤のスーパーライト
嫁さんは赤のジャングルランナー
今はカラーの鮮やかなトレッキングシューズが沢山ありますが、
当時はアースカラーで地味なものばかりでしたからMERRELはとても目立つものでした。
嬉しいことに細川と嫁さんのファーストメレルも30周年を記念して復刻として発売されています。
ぺリメーター ゴアテックスとジャングルランナー(同名)
細川としてはぺリメーターゴアテックスはとても嬉しい復活です。
当時の細川を悩ませたのが屋久島という生活環境でインターネットの普及もまだまだ、やっと携帯電話が普及してきたばかり。
屋久島では一足のMERRELLを手に入れることもできない。
『直接MERRELLに電話しちゃえ』と行動をおこしました。
当時担当の方は『そんなにMERRELLを愛してくれるのなら』とダンナの要望に応えてくださるだけでなく、屋久島に何度も訪れていただきました。そして、レンタルシューズとして提供していただき、履いたお客様にアンケートをお願いすることから始まりました。当時はアンケートをとってもMERRELLを知る人は誰もいなくて、好きなシューズブランドはナイキとかプーマでアウトドアブランドの知名度はとっても低いものでした。
屋久島ネイチャー企画FIELDのガイドがMERRELLをかっこよく履くこと、履きやすさを実感することでお客様に伝え、お客様がレンタルシューズを履く事で長い道のりを快適に歩きとおした実績からMERRELLというブランドが屋久島での知名度をあげてきたのを感じていました。
今ではお洒落な人たちの定番フットウェアになったMERRELL。
お堅い登山ショップではなく、身近な靴屋さんで普通に手に入るようになりました。
30周年をむかえて新作も充実していますので是非靴屋さんに足を運んでお気に入りの一足を見つけてください
福音館書店の月間予約絵本『ちいさなかがくのとも』114号『ぼくらはごりら』のおりこみふろくで細川がいきものクイズを担当しました。
イラストまで頼まれましたがリアルな絵で・・・・・・と言われましたが・・・・・・・・。
絵が苦手な細川には難しい依頼でした。
クイズは全然問題なし・・・・・考えているととっても楽しかったです。
プロアングラーとして活躍されているタイラバの佐々木洋三さんとアジングの家邊克己さんが屋久島の大マダイを狙うということで、地元アングラーとして細川も同船させていただきました。
細川のタックルは
スミス AMJ-SH630UL
コンクエストF800
PE2号
細川のタックルはタイラバに特化したわけではなく、ジギングもインチクもと考えた多目的タックルのつもり。
渋い状況の中、結局マダイのヒットは無く、マダイの顔を見ることはできませんでした。
屋久島では活性が高いタイミングならばジギングでも釣れるマダイですが、できるだけ細いPEを使うとヒットに繋がるようでした。
渋い中でも佐々木さんと家邊さんはPE1号、1.2号1.5号といった細くても強度の高いPEラインを使うことでヒットが続きます。
しかし、ビックファイトの末にラインブレイクが何度も・・・・・・・・・・・。
屋久島のマダイは大型がヒットするのでタイラバタックルも屋久島流の研究が必要です。
試行錯誤しながら目的のマダイを釣り上げて結果を出すプロの釣りはとても勉強になります。
屋久島大ダイ釣行はソルトワールドVol.88にて掲載されています。
細川もカンパチ、大カサゴを釣って少しですが登場しています。
ハナヒゲウツボ
イロブダイの幼魚
クマノミ
カエルアンコウ
一湊港を少し出ると旧日本軍のゼロ戦が沈んでいて、今では魚たちの住処になっています。スカシテンジクダイの群れにアザハタ。
ゼロ戦の周りでは喰うか喰われるかの生態系が出来ているんですね。
記念撮影は代表細川の水中カメラデビューでしたがうまくいきません
潜行ロープの周りではツバメウオの群れがお出迎えしてくれます
ボタニカルリサーチパークには果樹園、ハーブ園、温室があり、季節ごと色々な植物を見学することができます。スターフルーツの甘い品種が完熟していて普段は食べることが出来ないそうですが試食させていただきました。
この施設の魅力は温室にオオゴマダラの蝶が放され、美しい黄金のさなぎの見学もできます。
屋久島で栽培可能な熱帯果樹、熱帯植物の勉強を兼ねてフルーツガーデン、ボタニカルリサーチパークへ研修に行ってきました。
屋久島の自然界では見かけることのない熱帯果樹や花木が屋久島に適応して生える姿にはスタッフ一同驚きの連続でした。
摩訶不思議な熱帯果樹、幹にブドウのような実のなるジャボチカバなどがちょうど結実していました。
案内後は新鮮なフルーツにジャムを頂きました。
こんな屋久島観光の楽しみ方もいいかもしれません・・・・・・。
季節によっては蚊が多いので虫除けスプレーは必須です。
■雑誌「BE-PAL」にFIELDが掲載されました。
世界遺産に登録されてから屋久島への来訪者は急激に増えた。話題の土地の観光は、物見遊山に流れやすい。そんな旅をエコロジー型に誘導、保全と利用の均衡を守っているのが自然ガイドだ。細川浩司さんもこのひとり。
屋久島に来て11年。年は若いが、ガイドとしてはベテランである。「定住の理由ですか?自然の魅力はもちろんですが、水が美味しかったことですね。気候が温暖で人の気持ちもあったかい。
僕、農的な生活をしながら子育てをしたかったんですよ。自然ガイドの仕事もそんな暮らしの一環です。農作業も案内もない日は、海へ出て磯ものを取り、釣りをして遊ぶ。でその獲物で一杯。
これ以上の幸せって他にありますか?」訪ねた日は、そんな珠玉のようなオフタイムあいにく海は荒れ模様だったが、島は肴に困らない。「ゴマサバはぜひ食べてください。今日は刺身用の首折れサバはないですけど、サバ節は屋久島の名物。
これとラッキョウを和えたものは、酒席の定番です。ミソがつまったアサヒガニも絶品ですよ」屋久島では酒と言えば芋焼酎。だがこの島は他県出身者が多い。なかなか手に入らない日本酒は、実は島で最も喜ばれるお土産のひとつだ。
細川さんも日本酒が大好き。差し入れの『ヌーベル月桂冠』に思わず目を細める。「へえ、ヌーベル月桂冠って、すっきりしたやさしい味ですね。
ホタの刺身にはもちろん、サバ節の煙の香りにもよく合うし、アサヒガにの甲羅酒はやっぱり日本酒ならではのうまさだなあ」屋久島は昔から人々が暮らしをたててきた、穏やかな里地でもある。細川さんは磯もの取りやサバ節のようなものも、原生自然同様に大切な島の財産だという。
「ですから、大いに食べ、飲みながら屋久島について学ぶプログラムがあってもいい。それこそ本物のエコツアーだと思いますね」本物志向の細川さんならきっと実現してくれるにちがいない。
■雑誌「brutus」にFIELDが掲載されました。
スローライフを体現する仕事。樹齢7200年の縄文杉がある苔むす森、清らかに流れる川の魅力を伝えたい。
太古の昔から壮大な自然とともにある屋久島に心動かされた細川浩司さんは東京からの移住を決めた。
「ここに住む人はみんな親切。自然が豊かだから心が豊かになるのかもしれませんね」と細川さん。そんな島の魅力を訪れる人に伝えたい。ガイドとして最も考えることだと言う。
「僕らの言葉を通して、山と森と海のつながりを感じてもらえたら」と続ける。「何度も歩いた場所なのに新しい発見がある。
島の楽しみ方、遊び方にマニュアルがないところが面白い」と語る。雨上がりの春の森にたたずむみ、「夏来ないかなぁ。
早く裸で暮らしたい」とぽつり。スロー&ハッピーな生活がここにある。
■雑誌「BE-PAL」にFIELDが掲載されました。
アウトドア雑誌BE-PALの六月、七月、八月号の表紙撮影コーディネートをFIELD細川浩司が担当しました。
上記撮影とは別に北から南へがコンセプトとなる「大特集ちょこっと冒険日本縦断」企画をお手伝いさせていただきました。白谷雲水峡から淀川登山口まで距離約二十km。モデルの国井さんが百名山宮之浦岳登頂など頑張りました。
FIELDスタッフが総合案内、カメラマンを担当しました 。
細部まで精巧につくられている植物の世界を虫眼鏡で覗く。水分をたっぷり含んだ、まるで羽毛のように柔らかな苔。
奥さんの陽子さんが特別に用意してくれたお弁当。トビウオのすり身を揚げた「つけ揚げ」やおにぎりの具にしたサバ味噌など、地元の味を大切にしたスローフード。防腐効果のあるゲットウの葉にくるんで。
■雑誌「ソトコト」にFIELDが掲載されました。
屋久島でネイチャーガイドとして働く細川浩司さんはアウトドアの達人。都会の暮らしがどうにも肌に合わず、三宅島や沖縄を渡り歩き、屋久島に移住。自ら土地を開墾し、家も建ててしまう・・・・という経歴から、やんちゃな野生児といった人を想像していた。
が、実際の細川さんは、ゆったりとと落ち着いた話し方。この人なら安心、ひと目で思わせてしまうような頼もしさがある。細川さんが案内してくれたのは白谷雲水峡という、苔と渓谷が美しい森だ。えっ、縄文杉じゃないの?
「縄文杉を目当てに屋久島に来る人は多いんですけどね・・・・」屋久島は、なんと九州で最高峰の山を抱く島。縄文杉はちょうどそのおへそのような位置にある。健脚な人でも往復約10時間ほどの登山となるので、それなりの覚悟と準備が必要なのだ。
早朝に出発しても、日が暮れる前に帰ってくるには立ち止まる暇はほとんどなく、黙々と歩くことになる。「木や森について説明したり、森でゆっくり過ごしてもらったりすることができないので、あえておすすめはしません」と。白谷雲水峡に着くと、まずは準備体操。
特にひねりやすい足首はよくストレッチしておく必要がある。と、早速屋久ザルに出くわした。エサを求めて人間を襲う凶暴なサルと違い、一心不乱に新芽を食む姿がかわいらしい。雲水峡を歩き進むと、空気は水分がたっぷり含まれ、しっとりとしたものに変化していく。
日差しは新緑の薄いフィルターを通って届く。生き物が活動をはじめ、繁殖するこの季節、森の生命体が放つエネルギーが、呼吸するたびに身体に満ちていくような気がする。
楽しめるだろうか、という不安は早くも消え、「はるばる屋久島までやって来たからには、見るもの見て、食べるもの食べて、屋久ザル屋久シカもしっかり見て帰るぞ!」と気合が入る。
細川さんに対しても、あれこれ責め立てるように質問してしまう。しかし、細川さんはガイドといっても、バスガイドのようにしゃべりまくるわけではない。森の雰囲気を邪魔しないように、時々立ち止まってはポツリ、ポツリと木や植物、鳥のことを教えてくれる。
不思議なのだが、細川さんが「あ、今、シカがいました」とか「あそこにツツジが咲いていますよ」とか教えてくれるが、言われるまではこちらは全く気がつかない。
言われて改めて目を凝らし、ようやく見つけることができる。ちょっとした動きや色の変化に気をつけると見つけられるそうだが、普段、都会の生活で滅多に使わないそれらの感覚は、鈍ってしまっているのだろう。ところで杉というと、まっすぐにそびえ立つ木を思い描いていた。
しかし、ほとんどの屋久杉はグロテスクといっていいほどの容貌をしている。他の木に巻き付いたり、巻き付かれたり、倒れた木の上に新しい木が生え、2本が一体化していたり気根を何本も伸ばし、なんとか自らを支えようとする姿を見ると、何百年、何千年という時をかけた壮絶な生存競争の跡なのだとわかる。
そう、動物にしろ植物にしろ、生き抜いていくことは簡単ではないのだ。厳しさが刻みこまれているからこそ、屋久杉に魅かれ、神々しさを感じるのかもしれない・・・・。
そんなことを考えながら歩き続けていると、だんだんと目が慣れてきたのか、自分でも習った花や木を見分けられるようになってきた。名前がわかると不思議と親近感がわく。
今度来る時にはミニ植物図鑑を持ってくるといいかもしれない。そろそろお昼にしましょうかという時間になり、しばしランチタイムとなる。通常のツアーだと、トイレのある山小屋まで行ってお昼ということになるのだが、細川さんの場合はあくまでもその日の参加者のペースにまかせている。
幸い雲水峡の中にはあちこちにせせらぎがあるので、休憩に適した場所はいくつもある。「ぼちぼちでいいですから」が口癖の細川さんだ。
その場所が気に入ったら、一日そこで過ごしてもいいし、最後までたどりつければ途中で引き返してもいい。無理して「どこそこまで行かなければ」というツアーでは疲労感ばかりが残ってしまう。
お弁当を食べ終わると、せせらぎの水を汲んでコーヒーを入れてくれた。温かいものを飲むとホッとするし、なにより屋久島のきれいな水でいれたコーヒーはうまい。舌からも、屋久島の自然を実感してもらいたいという気持ちからはじめたサービスだ。細川さんの考えるエコツアーとは単に自然の中を歩くことだけではない。
その自然とともに生まれた、文化や伝統といったものもひっくるめて理解し、体験することこそエコツアー。だから、屋久杉での工芸品作りや地元の食べ物にも積極的に挑戦してほしいと言う。森の空気に包まれ、心まで緑に満たされていくうちに、こうしてせせらぎの音を聞いているだけで十分だなと思えてきた。
考えてみれば「何々しなければ!」と思っているのは私だけの都合で、周りの自然がそれに合わせてくれるわけではない。そんな勝手な思い込みから自分を解放することこそ、エコツアーのファーストステップなのかもしれない。
■雑誌「モノマガジン」にFIELDが掲載されました。
屋久島のグッドロケーションを求めて東の山を登る。あいにくの大雨でだ。これじゃ自然を楽しみながらの登山なんてできやしない。
日頃の行いを後悔しながら、緑の屋根のさらに上にのぞく曇り空を恨めしく思う。「西の方へ行きましょうか。きっと雨も降ってませんよ」ツアーガイド氏のアドバイスに従い向かった大川の滝。
そこには日の光を受けて輝く雄大な水しぶきがあった。屋久島は周囲たったの百三十二キロの小さな島だ。それなのに、その東西南北に、大きな天候の違いを見ることができる。まるでそこは、あらゆる季節と天候の見本市。
夏、人々は7月を待たずに南の海へ泳ぎ出し、冬は北の山頂に雪が積もりさえする。東で大雨が降っている同じ頃、西の空は晴天なんてことだってあるのだ。「四季の豊富な日本の風土」なんて比較にならないくらいのダイナミックさが溢れている。
もちろんそこは東シナ海に浮かぶ南の島。夏の湿気はひどいものだ。(保存ケースに入れたカメラレンズにカビが生えるほど!)そんな中で生活を送る屋久島人には驚いてしまう。その力をわけて下さい!
屋久島の自然を知り尽くし、なおかつ尊敬の気持ちを忘れない屋久島人のひとりであるガイド氏。その足下には、革が柔らかくなるほどに履きこなされたハイキングシューズがあった。彼のチカラの一端でもと、早速同じ靴に履き替える。なんだか大地に抱かれている気持ちがした。
あらゆる山に、どんな季節でも登れる勇気が湧いてきた。そうさ大丈夫、僕はメレルを履いている!